むかしむかしあるところに、誰も住んでいない古い家がありました。
ある日、旅人がその前を通りかかりました。旅人は、その家の庭で一輪の花を見つけました。その花は、とてもかわいらしい花でしたが、どこかしおれているように見えました。
旅人はかわいそうに思い、その花に水をあげました。花はすこしみずみずしさを取り戻したようでした。旅人はうれしくなり、その花に顔を近づけました。とても良い匂いでした。その時ふと、風が吹いて、花びらが唇に触れました。旅人は、今日は素敵な日になると思いました。
旅人は、小さい頃から他人のことばかりが気になる子供でした。他人を喜ばせるために、自分の気持ちをあとまわしにしてしまうのです。「他人」は両親だったり、友人だったり、恋人だったりしました。そうして喜ばせたい人がひとり、またひとりと増えていくうちに、旅人の中で、自分の居場所がどんどんと狭くなっていくことに気づきました。そしてついに旅人は、「他人」のいない、どこか遠くに行きたいと願うようになったのでした。
なにかが始まる時というのは、なにかが終わる時でもあります。花に触れたその瞬間、旅人のあてのない旅は終わりました。旅人はもう、旅人ではなくなったのです。