むかしむかし、あるところに、誰も住んでいない古い家がありました。
ある日、旅人がその前を通りかかりました。旅人は、その家の庭で一輪の花を見つけました。その花は、とてもかわいらしい花でしたが、どこかしおれているように見えました。
旅人はその花に水をあげました。旅人は次の日もやってきて、水をあげました。次の次の日もまた、水をあげました。毎日水をあげているうちに、旅人はいつのまにか、その家に住むようになりました。いずれ花が元気になったら帰ればいいと思いました。
家はボロボロで、何もありませんでした。でも旅人はその庭が好きでした。ときどき寂しい日もありましたが、庭の花がきれいに咲いているのを眺めていると、それだけでうれしくなりました。旅人は気が付けば、その暮らしを10年も続けていました。庭はにぎやかになりましたが、そのあいだに旅人は老いました。帰り道も、もう思い出せなくなっていました。
愛とはなにか。難しい問いです。オーデンという詩人は、愛を「強制することも、逃げることもできない」ものだといいました。ぼくたちは義務感からひとを愛することはできないし、そんなつもりはなかったのに「うっかり」ひとを愛するようになってしまうこともある。確かにそうかもしれません。言い換えれば、愛はある程度、自動的なものだということでしょう。旅人がたどり着いたものが愛かどうかはわかりません。しかし、旅人もまた「うっかり」庭師として生きることになり、少なくともその運命を受け入れたのです。
この曲は、長女が通った幼稚園の先生が作詞・作曲して子供たちに歌わせていた歌を、許可を頂いた上でぼくがピアノ曲として編曲したものです。アルバム制作にあたって何人かの知人に試聴をお願いしたのですが、実を言うと、満場一致で一番良いと言われたのがこの曲でした。ぼくのアルバムなのに、ぼくの曲ではなくて、ぼくがしつらえただれかの曲がもっとも輝く。「庭師」として、これほどうれしいことはありません。