追憶の舟歌

Barcarolle of Reminiscence

「舟歌」ということばの響きに、昔から憧れがあります。ぼくはフォーレというフランスの作曲家が好きなのですが、フォーレは13曲も舟歌を作りましたから、その影響かもしれません。ですから、自分の曲に「舟歌」という名前をつけることができたのは、とてもうれしいことでした。

「つけることができた」というのは、もともとこの曲は、基隆市主催の『美麗基隆』という映画祭に応募する映像のためのBGMとして適当に即興演奏したもので、この曲だけを取り出して作品にするつもりはなかったからです。このアルバムのアイデアが生まれなければ、この曲は「舟歌」になることはなかったでしょう。

台湾と日本は飛行機で3時間くらいで行き来ができますから、現代の感覚では「近い」ということになるのだと思います。じっさい、飛行機での3時間などあっという間です。映画を1本再生して、そのあいだに慌ただしく機内食を食べているうちに到着してしまいます。しかし、いざ地上に立ってみるとどうでしょう。台湾でもっとも日本に近いと言われる蘇澳の水平線の彼方にも、日本を見ることはかないません。

台湾と日本は、ほんとうに「近い」のでしょうか。じつはぼくたちは、もっとちっぽけな存在だったのではないでしょうか。「飛行機に乗る」というあたりまえのことがあたりまえではなくなった世界の海辺で響く波音は、静かに、ぼくにそう問いかけているように聞こえます。