夕方に日本の人とZoomミーティングをしていると、相手のマイクを通して近くの公園のスピーカーから流れた『夕焼け小焼け』が聞こえてくることがあり、それを耳にすると、ああ、まだ「そう」なんだなと、なにか安心したような気持ちになります。昔のぼくにとってそうだったように、『夕焼け小焼け』は、日本では今でも子供たちに帰宅を促す音楽であるようです。
数年前、夕陽の中で車を運転していたときのことです。後ろに座っていた娘が『夕焼け小焼け』を歌い始めたことがありました。幼稚園で教わってきたのだそうですが、台湾で生まれ、中国語で教育を受ける娘が、「からすと一緒に帰りましょう」と拙い日本語で歌うのです。忘れていたのか、あえて封じ込めていたのかはわかりませんが、色々な感情が溢れてきました。
「そう」であるときには、それが当たり前ですから、特別な何かは感じないかもしれません。それが日常というものです。しかし、「そう」ではなくなったときに、それは途端にその不在を主張し始めます。たしかに娘は『夕焼け小焼け』を知りましたが、ぼくがこの曲に見出すイメージを娘と共有できることは、おそらくないでしょう。娘が生きるここは、「そう」ではないからです。ここにはもう、からすはいないのです。
いずれ、ぼくはどこに帰るのでしょう。娘たちが待つ家でしょうか。生まれ育った場所でしょうか。答えはいつも、橙色の空に滲んでいて、よく見えません。