万華鏡

Kaleidoscope

子供の頃、家族旅行で長崎に行ったときに買ってもらったビードロのことを、今でもたまに思い出します。おそらく30年以上前の話でしょう。

その時どこに行ったのかとか、何を食べたのかとか、そんなことは全く覚えていないのに、なぜかそのビードロのことは鮮明に覚えているのです。まるい形で、ステンドグラスのように黒い線で模様が描いてあり、その枠内にたくさんの色が散りばめられていました。光に透かしたときにできる影が美しくて、まるで宝石みたいでした。

思い返すと、昔からキラキラと透き通っているものが好きで、ビー玉やおはじきを美しいと思っていました。ぼくの母は洋裁の先生だったので、家には母が使う小さいビーズやスパンコールがたくさんあり、それを眺めるのも好きでした。万華鏡を覗き込むと、そういうものがたくさん入っています。なかに手を入れて、コロコロと転がるキラキラしたものに触れたいと思うのですが、触れることはできません。ぼくにできるのは、ただそれを転がして、覗き込むことだけです。

娘や妻にカメラのレンズを向けているときも同じような気持ちになります。ファインダーの中の彼女たちは、覗き込むたびにちがう顔をしていて、自由に動いて、自然に笑っています。でもそのキラキラした表情は、ぼくが触れようと手を伸ばすと、真夏の陽炎のように、すっとどこかに消えてしまうのです。